和名『眼球日誌』。国際補助語エスペラント、文学、芸術、人類、政治、社会などについて
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予告された殺人の記録
評価:
G. ガルシア=マルケス
新潮社
¥ 420
(1997-11)
 表現技法で文学を語りだしたときは、鯨において人間としての後退が見られたときである。大学一年生のころにはじめてゾラの『パリの胃袋』を読んで感銘を受けた。こんな表現技法があったのか、という驚きと尊敬である。しかしすぐにその感銘は消えうせた。『予告された殺人の記録』を読んだからだ。魔術的リアリズムには苦行ともいえるボルヘスの読書経験で慣らされていたが、鯨はこのコロンビアの作家の熱帯的官能性に圧倒された。口をぱくぱく言わせて喘いだ。これは完璧な小説である。完全小説と呼んでいいだろう。鯨はこれ以上の小説に出会うことはないし、自ら書くこともないと確信している。そのため『予告された殺人の記録』と言ったり、書いたりする度に背中に快感が走る。
 まずは冒頭が俊逸である。
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。

物語の中核となる殺人が予告されていたことをこの一文ですでに物語にしている。「自分が殺される日」、すばらしい受動表現である。鯨はこの冒頭ですでに泣く。鯨は10回この小説を読んだが、冒頭で泣いたのは2回目からだった。いったいガルシア・マルケスはこの冒頭を思いつくのに何ヶ月かかったのだろう、あるいは5秒か?
 そしてバヤルド・サン・ロマンがやもめのシウスから家を買い取ったあとの場面で、家を売ってから二ヵ月後に死んだシウスに聴診器をあてた医師ディオニシオ・イグアランの台詞
「だがね、聴診器を当ててみると、心の中で涙がふつふつとたぎっているのが分かるんだ。」

アラブ人もびっくりのすごい表現力である。読んでいて頬がびりびり鳴るのがわかるほど。
 これもすごい。バヤルド・サン・ロマンと結婚式をあげたのはいいが、処女ではなかったために返却され、兄弟であるペドロ・ビカリオに「相手が誰なのか教えるんだ」と問い詰められたときのアンヘラ・ビカリオの台詞である。鯨はこの58頁を読み終えるたびに文庫本を手から落としてしまう。
 彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がまぜこぜになった中から、真っ先に見つかったものだった。彼女はその名に投げ矢を命中させ、蝶のように壁に留めたのだ。彼女がなにげなく挙げたその名は、しかし、はるか昔からすでに宣告されていたのである。
「サンティアゴ・ナサールよ」彼女はそう答えた。

しかし本当に相手がサンティアゴ・ナサールだったのかは、彼女と殺されたサンティアゴしか知らない。殺人のあと、アンヘラはかたくなにサンティアゴだったと言い張り、そのサンティアゴは何も言うことなく殺された。
 そしてサンティアゴ・ナサールの最期の言葉は、腸がはみ出した状態で、話者の叔母であるウェネフリーダ・マルケスに言ったこの台詞である。
「おれは殺されたんだよ、ウェネ」

 たぶん、鯨は死ぬまでにあと90回はこれを読むだろう。
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