和名『眼球日誌』。国際補助語エスペラント、文学、芸術、人類、政治、社会などについて
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男性の「束縛」について
  女性が男性の「束縛」を嫌がるという現象がある。もしこの言い方に語弊があるのならば、男性の愛情表現を「束縛」と呼んで女性が自分の嫌悪感を正当化する現象がある。もちろんこの場合の男性と女性は法的ではない私的な婚姻関係(恋人の関係、彼氏彼女の関係)にあるとする。
 なぜ男性はいわゆる「束縛」と呼ばれる言動をするのだろうか。「束縛」言動には以下のような例がある。

 1, 女性が他の男性と遊ぶのを止めさせようとする。
 2, 女性が他の女性と遊ぶのを止めさせようとする。
 3,女性が他の人と話すのを止めさせようとする。

 それぞれについて検証してみる。1については女性がその意志に反して強姦される、あるいはその意志によって他の男性と性交するのを妨げるためである。2については他の女性の誘惑によって女性が他の男性に強姦される、あるいは他の男性と性交するのを妨げるためである。3については1と2について述べられた状況に発展する可能性があるので事前にそれを妨げるためである。
 「束縛」言動はいづれも男性の、女性をかけがえのない存在と認め女性を失いたくない、今あるこの関係を崩したくないという願望よりわき出たものだ。もし男性が相手の女性を性的玩具と見なしているのならば、たとえ女性が他の男性と遊びに行こうが何をしようが何も言わずに黙っているだろう。ただの物体なのだから、他の男性から強姦されようが肛門に大根をつっこまれようが構わないのだ。そうではない、相手の女性が血の通った人間だからこそ「危険をおかしてくれるな」と男性は「束縛」するのである。「束縛」言動とは男性の愛情表現なのだ。
 ここから見えてくるのは、「束縛」言動を嫌がる女性は、相手の男性に自分を性的玩具と見なして欲しいと思っているか、もしくは自ら他の男性に自分を強姦して欲しいという願望を抱いているということ。「束縛」を嫌がる女性には、もっと自分の身体を大切にした方がいいとお節介ながら忠告する。君はその男性にかけがえのない存在と思われているのだから。
 「束縛」言動とは性交以外で男性が女性に示せるほとんど唯一の優しさと愛情である。これなくして男女という異性間の愛情は成立し得ない。
| eseo | 16:51 | - | - | このページのトップへ
情緒不安定
  札幌で働いていたときのことだ。職場の所長から不意に
「どうして鯨くんはそんなにいつも情緒不安定なのか」
と訊かれた。鯨はすぐには答えられなかった。まず自分が情緒不安定になっている原因について知らなかった。それに、そもそも自分が情緒不安定であるという観点を持っていなかった。答えられる筈もなかった。
「情緒不安定ですかねえ」
 と鯨には言葉を濁してお茶を濁すことしかできなかったが
「ああ、そうだ」
 と所長はその話を続けようとする。なので鯨はなんとなくだが
「タバコを吸わないからでしょうか」
と適当なことを言ってこの話を収束させようとした。しかし所長はややこしいことを言った。
「鯨くん、タバコは前から吸っていないから別に禁煙していないのに情緒不安定になる理由がわからないよ」
 帰り道、市営地下鉄を出て雪を踏みしめて歩きながら所長の言葉を反芻してみた。知的障害児施設を脱走して半年しかたっていなかった頃だ。まだ脱走に至るまでの精神状態が続いていたのかもしれないという考えに至った。この躯に心がついていっていない状態にあるのかも、と。そこで思考をやめた。どうでもよくなったからだ。そして今になってあの言葉「タバコを吸わないからでしょうか」は正鵠を射ていたかもしれないと思い始めている。もちろん、それを射るためには「タバコ」の言葉の範囲に麻薬などのクスリも含める必要がある。

 三軒茶屋の交差点をわたっているときに、いわゆる情緒的に安定している空間を通り抜けていったような気がした。それはほんの一瞬のことで、すぐにその空間は喪われた。横断歩道なので立ち返ってその空間を再び味わうわけにはいかなかった。それは振り返っても目に見えるものでもない。もし目に見えるものならば、歩いているときに前方に見えたはずだ。こうして、その情緒的に安定している空間は完全に鯨から喪失した。
 情緒が安定しているか、それとも不安定であるかという観点が生まれてからの観測結果として自分は絶えず情緒不安定であり、いつも揺らいでいることを発見した。すくなくとも長い期間安定はしていない。なので「何を以て情緒が安定しているか」という基準が曖昧である。つまり、どういう状態にあるときに自分が安定しているのかがわからない。何となくかつてそれが来たときにそれがどういうものだったかという経験から情緒が安定しているか不安定かの判別はできるのだが、自らをその状態に持って行けるほどはっきりとした基準はないということだ。この場合、もし安定している状態の自分が「ありのままの自分」だとしたら、その「ありのままの自分」というのがつかめないということになるのだろうか。あるいは「ありのままの自分」が情緒不安定な状態であるということか。
 フランス映画を観ているときにタバコを口にくわえた女優のとがった顎先にennuiを感じるときがある。そのennuiさというのは一つの停滞した気団であって、その気団のただ中に自分の身体がおかれているとき、それを安定とよべる、という希望がある。それが希望なのは、それ以外にたどるべき途が存在しないからだ。ennuiが情緒安定の条件であるというのは何とも鬱屈していると自分でも思うのだが、そのennuiさに何ら恐怖心を抱かずに、ennuiをennuiそのものとして甘受していられるのであれば、それはきっと情緒安定とよべるのだろう。
 そこまで思考が至ったとき、三軒茶屋で通り過ぎて、そして置き去りにしたあの特殊な空間を占めていたものはennuiではなかったのかという推測がよぎった。年甲斐もなくフランソワーズ・サガンを読みたくなった。
| eseo | 21:02 | - | - | このページのトップへ
Mさんとの会話
   Mさんは14時に大阪にあるお客様窓口センターに電話をいれたらしい。鯨は東京23区内にある事務所に15時過ぎに帰ってきて、電話受付の書類を女性社員に見せられた。そして、Mさんに電話を入れて欲しいと女性社員に要請される。書類には「T国には渡航注意の情報やマラリアなどの病気が発生しているとのこと、それで商品Aを購入できるか。商品A購入希望」と受付事項が書いてある。特に時間の指定等は書いていなかった。
 鯨は見積等の計算をして15時半ごろにスマートフォンから架電した。十数分後に出かける用事があったので折り返し電話があった際にすぐに対応できるようにである。
 数十秒して相手が出た。
「鯨です」
「すぐに折り返して下さい」
 と先方に言われたので
「何時ごろがよろしいでしょうか」
 と訊くと
「すぐでいいです」
 という返事で電話が切れた。鯨はすぐにその指でタップして架電した。
「鯨です、商品Aの件でお電話をさしあげました」
「はい」
 まずは質問事項に答えるか。
「マラリアなどの病気が発生しているがそれで商品を購入できるかということですが購入できます」
「はい」
「それで購入をご希望ということですが」
 そこでその人は怒り出した。
「ちょっと待てよ。こちらは1時間以上待っていたんだぞ」
 うん?と思った。書類を見ると最初の電話から正確には1時間半だ。
「それで購入希望じゃねえだろ。まずお待たせしてすみませんでしただろ」
 と来た。受付があってから翌日に電話をすることもあるので、こういう返答ははじめてで鯨はなんと答えていいのかわからなかった。
「それで訊いているのはマラリアについてじゃねえよ。どう聞いたか知らないけど渡航注意が出ててそれで購入できるのかって聞いてんだ。それよりもまずこちらはすぐに電話しろって言って1時間も待っているんだぞ。そんな話の前にまずすみませんだろ。それに商品Aに必要なのは迅速な対応だろ。違うのか」
「そうです」
 そうなんだけれど、いくら何でも1時間で対応するような商品Aに今まで出くわしたことがない。早くても事案発生から2〜3日だ。
「おまえだったら、そんな1時間も待たされて商品Aを買うか? 」
 うーん。1日待たされたら考えるけれど、1時間で電話がかかってきたらまずますかな、と思った。もちろんこちらが10分後に電話してと伝えて1時間後に 電話がかかってきたら怒るかもしれないけれど、"すぐに"という曖昧な言葉をこちらが持ち出したならばしょうがないかなと思う。
「あくまでも個人的な差違はあると思いますが、1時間くらいであれば鯨は気にしません」
 ここで当然だが、Mさんは激怒した。
「おまえはそういう考えか。おまえの会社はそういう会社なんだな。商品Aにとって必要なのは何だ」
「迅速な対応です」
 答えはたいてい文章中に転がっているものだ。
「だろ。迅速な対応だ。でも、おまえは1時間待ってもいいって言っている。おかしいだろ」
 だんだんわかってきたのはMさんの頭のなかでは「迅速」=1時間未満、で「すぐに」=1時間未満だということだ。59分までは良くて60分はダメ、Mさんはそういう文化で生きているらしい。あと話がずれてきている。
「ちょっと待ってください。今はMさんが1時間待たされてご立腹したという件について話をしているんですよね。鯨の時間感覚は関係ないのではないですか」
「そうだ。余計なこと言うんじゃねえよ」
 Mさんはとにかく難癖をつけないといけない人のようだった。
「迅速な対応が必要なのに、おまえは1時間待たせてもいいって言っている。矛盾しているっつってんだよ」
 いつのまにか"待ってもいい"が"待たせてもいい"にすり替わっている。
「そんなことは言っていません。今はMさんが1時間待ってご立腹したということについてお話ししているんですよね。弊社の連絡伝達がつたなくお待たせしてしまったことは謝罪します」
「そうだろ。待たせたんだ。それをおまえは1時間待たせてもいいって言っている」
「ですから、今話しているのはMさんが待たされたことを話しているんですよね。鯨のことは関係ないではないですか」
「そうだ。関係ないこと言うな」
 わけがわからないよ。
「おまえの上司を出せ」
 ここで鯨は言葉に詰まった。鯨は出向の身であり、この事務所での地位は自分でもよくわかっていない。「君は個人事業主だ」と言われたこともあるし、「一 社員だ」と言われたこともある。また、鯨には担当をしてくれている人と所長がいて、担当が上司なのかもしれないけれど、所長のほうが上司っぽい。どちらが上司なのだろうと考えて行動予定表のホワイトボードを見ると2人とも直帰していた。なのでこう答えた。
「上司はいません」
「ん?どういうことだ」
「ですから上司はいません」
 まあ、当然ながらここでMさん、激怒である。
「おまえに上司はいねえのかよ」
 いるのかな、いないのかな。まあ、いるってことにしておこう。
「いるんですが、今日はもう帰ってきません」
「なら、明日お電話させますっていうのが常識だろ」
 どうやらMさんは1時間は待てないけれど一夜ならば待てるらしい。
「ではお電話させます」
「10時までに電話させろ」
 そんなこと言われても2人とも明日直行しないとは限らないし、時間なんて未定だよ。鯨が電話をするならまだしも。
「ではなるべく10時までにお電話させます」
「おまえらはそういうところが曖昧なんだよ。10時までっつたら10時までに電話させろ。こちらは10時までを希望しているんだ」
「わかりました。10時にお電話させます」
「誰が電話する」
 ここで誰を犠牲にするか、鯨の頭のなかで天秤にかけられる。担当だな。
「Kが電話します」
「そうか、明日10時までにKが電話するんだな」
「はい」
 ここでお互いに黙った。そしてMさんが電話をきった。
| 仕事 | 21:15 | - | - | このページのトップへ
シアヌークとの会話
  高校の時の後輩であるシアヌークに呼ばれて下北沢に出た。シアヌークはもちろん殿下ではないが、高校の時の後輩であって中学の時の後輩ではない。従って鯨よりも4歳年下で今のところ23歳(誕生日が6月)である。今年、国立にある某国立大学を卒業して、4月から何ら迷いを抱かずに大手商社に就職して働いているらしい。
 待ち合わせ場所は北口にあるスターバックスだった。北沢タウンホールの駐輪場にスクーターを停めて、踏切を越えて待ち合わせ場所に向かった。スターバックスでコーヒーを購入しようとすると、妻にコーヒーを買わせていたスキンヘッドの男が女性店員の対応に「つかえねぇーな」と吐いていた。もう一度その男が同じ台詞を吐いたら殴ろうと思った。しかしそんなことはなく、その男も鯨も無事にコーヒーにありついた。マグカップを手に地下へ続く階段を降りていくと、隅の席にシアヌークは座っていた。前に忘年会で会ったときよりものっぺりとした顔をしていた。
「よ」
「鯨さん、こんにちは」
 まずはシアヌークの近況を訊いた。研修続きで移動が多く大変らしい。最初の2年は本社勤めで仕事を覚えて3年目から海外支社や地方支社に飛ばされるという。
「だから焦っているんです」
 とシアヌークは言った。
「なにを」
 とは訊くものの、だいたい話は見えてきた。
「僕、女性と話すのが苦手なんです」
「鯨も苦手だよ」
 そんなことはない、とシアヌークは鯨の言葉を否定しにかかる。
「鯨さんはよく女性と話している印象があります」
 そんなことはないよ。むしろ平均的な男性の5%くらいしか話していないよ。
「僕は同期の女の子ともうまく話せないんです。電話とかは大丈夫なんですけれど」
 よく、おまえ就職できたな。それって仕事に支障を来さないか。
「でも、職場は男性が多いし、上司はほとんど男性なので助かっています。それで」
 それで、って何だよ。
「どうしたらうまく女性と話せるんでしょうか」

 知らないよ。と鯨は言った。恋愛相談の類はお門違いだ。好きな女の子がいるなら鯨と話している暇でその子と話せばいい。鯨のことは知っているだろ。たとえばつきあっている男女がいる。そのうちの男が別の女に恋愛相談を持ちかける。そういうのを非合理的で、一番の愚の骨頂だと思う人間だ。だから
「わかっていますが、鯨さんは何でも知っていそうな気がするんです」
 まあ、話だけは聞こう。
「どうやったら、恥知らずにも女の子と話せるんですか」
 鯨にはある懸念があった。よくよく考えれば鯨にも女の子と話すのが苦手な時期があった。そのときの経験をもとに訊いてみようか。
「女の子と話すことの何が恥ずかしいの」
「えっ」
 とシアヌークは目を見開いて鯨の顔をまじまじと見た。何でそんなことを訊くのか、鯨の真意を確かめているようでもあった。きっとこれは図星になる。
「もしかして、性交のことを考えながら女の子と話していないか。あるいはこの娘はおっぱいでかいなとか、そんな類のことだ」
 隣の席で音楽を聴きながら手帳に何かを記入している女性がこちらを見る。
「あ、はい」
 だろうな。
「そりゃ、恥ずかしいに決まっているだろ。おまえが恥ずかしがっているのは女の子と話すことじゃなくて、性交のことを考えていることやおっぱいのことを考えていることの方だ。人間として当たり前のことだ。だから、おまえが採るべき道は二つ、性交やおっぱいのことを考えずに女の子と話すか、性交やおっぱいのことを考えることを恥ずかしがらないようにすることだ」
 これで話は終わるだろう。隣の女性の視線が頬に刺さるが気にしない。
「前者は、ちょっと意味がわからないです」
 何の意味だよ。
「女の子と話すのにそういったことを考えないのはよく意味がわかりません。ならそもそも女の子と話さなくていいじゃないですか」
 そうか。
「あと後者はやっぱり恥ずかしいじゃないですか」
 こいつを殴りたいと思った。
「いいか、椎野。女の子と話すときは必ずしも性交するときだけとは限らないんだ。もちろん私的に会うとかであればそういうこともあるかもしれないが、それだってすべての道がそこに通じているわけじゃない。確かに生殺与奪の権はおまえの手の内にある。だが、それで恥ずかしがっていたらその権を生かすことさえできない。まず女の子と話す=性交という考えを止めろ」
「そうしたら女の子と何を話せばいいんですか」
 お願いだからそんなことくらい自分で考えてくれ。もう23歳なんだろ、就職して働いているんだろ。
「たとえば今週のアニメのこととか最近見た映画とかドラマとか読んだ本のこととか。話題は何でもある。先週の競馬で当たったことでもいいし、おいしいインドカレー屋のことでもいい。来週天皇賞だけど府中行くか? まあ、一番いいのはその子の深層心理を会話で探るとか、そこまでいかなくてもとにかく相手のことを訊くのがいいんじゃないのか。おまえのことに興味を持っているぞアピールで」
 シアヌークは怪訝顔をする。
「でも、そもそも興味を持っていなかったら話さないわけですからそんなのアピールしても重複になるじゃないですか」
「無駄だと思うならしなければいい。それより来週府中にアーネストリー見に行こうぜ」
「でもそんな話をしてもし女の子が喜ばなかったらどうしますか」
「おまえ何言ってんだよ。性交の話をするよりずっと喜ぶと思うよ。もちろん話すくらいだからそれでも喜ぶんだろうけれど。いきなり『さて、セックスのことですが』なんて切り出してみろ、おまえ訴えられるぞ。あとおまえが何も女の子を喜ばせる必要も義務もない。ただ話をするだけだ。そう思えばいい。あと、女の子を喜ばせたいと思うよりも前に、今この時点で鯨を喜ばせるような話をしてくれると大変うれしい」
 そうだ、今日はこれからボーリングをしよう。そう鯨は決めた。
| eseo | 18:32 | - | - | このページのトップへ
ボーリング場で学んだこと
 「ここのボウリング場、あなたは何レーンあるか言えますか? 」
 と鯨はレセプションにいた係員に詰め寄った。眼鏡をかけた痩せぎすの係員は
「全部で30レーンあります」
 と答えた。それがマニュアル通りの答えかどうかは知らない。なるほどこのボウリング場には係員の言う通り30レーンある。一番端のレーンには「30」と書いてあるから、すぐにわかる。まったくもって正しい、正解だ。
「では30レーンあるこのボウリング場で、今現在何組が投げていますか」
 そこで係員はカウンターの下にある画面をのぞき込んだ。
「今は、そうですね、2組の方々が投げています。それがどうかしましたか」
 そう言って係員は黒縁眼鏡の奥から、つぶらな瞳を見せた。

 出向しているはずなのに、前の会社の代表として商工会議所主催のボウリング大会に出ることになった。そのためアフター5だけには律儀な男として、鯨は仕事帰りに大会の会場となるボウリング場に立ち寄って練習をしなければならなくなった。この1年間ボウリングをまったく投げていなかったので、投げ方を思い出すためだ。午後6時半、受付で用紙に必要事項を記入し、眼鏡をかけた痩せぎすの係員さんにレーンを割り当ててもらった。鯨がボウリング場に入ったとき、ボウリング場にいたのは小さい子供たちが4人と2人のお母さんの集団だけで、彼らは13レーンと14レーンで補助器具を使いながら和気藹々と投げていた。集団との間には1レーンしかなかったけれど、大して気にはならない。第1ゲームのスコアは115だった。後半から去年のボウリング大会のころの投げ方を思い出してきた。
 鯨の第1ゲームが終わって少しして集団は帰って行った。泣叫ぶ幼児をお母さんが抱えて「バッティングセンターに行こうか」などとあやしながら去っていった。鯨は広いボウリング場をひとりで貸し切り、第2ゲームを投げ始めていた。第1フレームと第3フレームがスペアだった。120くらいはいけるかもしれない。そう思ったとき、隣の10レーンに電気が入り、機械が10本のピンを置いた。そしてテレビ画面に3人分のスコアボードが表示された。鯨は目を疑った。ボウリング場には30になんなんとするレーンがある。そこで投げているのは鯨ひとりだけだ。よって、空いているレーンは29もある。なのになぜに2組目のレーンを1組目の隣に割り当てる必要があるのだろうか。もしかしたら、係員さんが「このボウリング場で交流がうまれたら」などと気を利かせたのかもしれない、そう鯨は思った。お節介な店員さんだな、と肩をすくめた。
 だが、隣は高校生くらいの少年3人だった。ボールを前方上に放り投げる投法をロフトボールと呼ぶが、彼らは3人が3人ともそういう投法で投げていた。彼らがボールを投ずる度にボウリング場中にガン、ガンとけたたましい音が鳴り響いた。もちろんレーンを傷めるのでロフトボールはマナー違反ではある。しかし彼らがやっているのは試合ではない、遊びだ。ゆえに多少のマナー違反は遊びのうちであろう。許容の範囲内だ。しかしロフトボールの音はうるさい。しかも隣だからやたらとうるさい。苛立つほどにけたたましい。鯨の第2ゲーム、集中力は乱れ、ボールは無駄なカーブを描き、スコアは95に終わった。ゲームを終えてボールを片付け、シューズを返却した。観客席から見ると30あるレーンのうち埋まっているレーンは鯨と少年3人とそれから17レーンでマイボールを投げているおじいさんの3組だけだった。
 受付に行き、2ゲームの料金を払ってから眼鏡で痩せぎすの係員さんに訊いた。
 「ここのボウリング場、あなたは何レーンあるか言えますか? 」
 その問いかけに対し、係員さんは躊躇することなく
「全部で30レーンあります」
 と答えた。質問には答えてはいないが、訊きたいことを予め言ってくれた。それで正解である。
「では30レーンもあるこのボウリング場で、今現在何組が投げていますか」
 そこで係員はカウンターの下にある画面をのぞき込んだ。
「今は、そうですね、2組の方々が投げています。それがどうかしましたか」
 そう言って係員は眼鏡の奥から、きょとんとしたつぶらな瞳を見せた。
「ではなぜあの少年らと鯨を隣同士のレーンにしたんですか。こんなに空いているのであれば1レーンくらい間を空けてくれてもでしょう」
 それに対し係員はあっけらかんとして
「そうかもしれませんね」
 と答えた。何ら恥じることなく、そう答えたのだ。鯨は立ちくらみがした。だが、そうなのだ。彼は彼に割り振られた仕事を給料の分だけこなしただけだ。鯨は何も文句を言うことはできないし、彼を批難することはできない。「ただ静かに、ただ穏やかにボールをレーンの上で転がしたい」という鯨の望みは、アベレージ110近辺の鯨には過ぎた願いだったのだ。もしそういう主張をしたいのならばせめてアベレージ150は要るんじゃないの。黒縁眼鏡の奥で係員さんがそう言っているような気がした。鯨は押し黙り、受付を去った。原付にエンジンをかけるとき、めまいがした。
 これが人生である、とヘルメットをかぶりながら鯨は悟った。誰もささやかな望みさえ叶えることができず、誰もちっぽけな幸福さえ手に入れることができず、欲望の全てを満たされぬまま死んでいく。もしかしたらボウリング場でこんな感情を手に入れたまま、鯨は大型トラックに轢き殺されて人生を終えるのかも知れない。あるいは会いたいと思っていた人に会えないまま不意に人生を終えるのかもしれない。誰のおっぱいも揉めずに死んでいく人もあろう。童貞のまま死んでいく人もあろう。誰も他人の人生の終焉まで気にしてはいられない。だから他人に何でもできる。侮辱することも、他人をないがしろにすることもできる。もしないがしろにしたままでその人が死んでも「彼は幸福な人生を送りましたね。めでたしめでたし」と自分勝手なあとがきを添えて他人の葬列を見送るのだ。誰も他人の世界に気をかけてはいられない。自分の世界の維持だけで精一杯なのだ。他人の死なんて自分の世界のささやかな変化にしか過ぎないのだ。
 「おまえの世界なんて俺の世界にしてみればちっぽけなものだ」、そう鯨は受付の係員に教わったような気がする。そうなのだ。本当にそうなのだ。自分の世界なんてあってもなくても意味はなく、もとから意味なんてなかったし、それほど長い時間で意味を持ち続けるようなものでもない。そこに少しでも意味とか希望とかを見いだしたとき、人生はたちまちに暗澹に満たされる。「人生は痛えんだよ」本当にそうだ。痛みだけを相棒にしていこう。希望をなくしてしまえば、何も欲することさえ許されないようになれば、人生は怖ろしくない。ありがとう、店員さん。鯨は一歩進めた気がする。
| eseo | 22:22 | - | - | このページのトップへ