和名『眼球日誌』。国際補助語エスペラント、文学、芸術、人類、政治、社会などについて
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性的役割についてのメモ
女性が女装男子を描くと「よく教育された未開人」への眼差しを見つけることができる。 完全に性的役割が取り払われた社会では出産機能を持つ女性が優位となる。これは人類が生物であり、種の存続以外の目的は二次的な価値しか無いという逃れられない宿命に由来する。そこで男性と女性が均衡を保てるよう考え出されたのが性的役割だった。しかしその太古からの智慧である性的役割はこの日本では取り払われつつある。そこで剥き出しになったのは、もちろん男女の平等などではなく、性的役割を喪った男性の法的奴隷化と、現状を生きにくいと思っている人がどんな状況に置かれても生きにくいと思うのは単にワガママだからという自明な理屈だった。 こうして古代からの智慧を捨て女性優位となった社会においては醜い畸形生物と成り下がった男性は女性の仲間入りをした方が賢明である。肉体に整形化粧を施すのも一つの手段であり、女装ももう一つの手段だ。衣服がその人の社会的な位置を付加するものだとしたら女装とは、女性にとってはアパルトヘイト国家での名誉白人のようなものであり、男性にとっては厳格なイスラーム国家での他教改宗者である。女装男子は苦界から人間らしく生きられる世界へと渡った越境者なのだ。 女性が女装男子を描くことで明らかになるのは、中性選択肢のように性差の隔たりを突き崩す狙いではなく、女性性の明確な優位を踏み固めたいという隠匿された欲望である。そして女装男子を自分とは異なる野蛮な種と見下しながらも自分の価値観へ近づこうとする努力を評価してやろうとするエゴが透けて見える。
| - | 20:48 | - | - | このページのトップへ
老人は横断歩道を渡らない
  老人が車道を渡ろうとしている。鯨は自転車をこいでいた。老人の胸板がアスファルト面とほぼ水平になるまで腰は曲がっている。二足動物、老いの宿命である。老人は黒塗りの杖を地に垂らし、小刻みに震えながら、皺だらけの顔の奥に埋め込まれた澱んだ眼球で車の来る方角を見ている。桜新町のサザエさん通りは旧道から国道二四六号線への抜け道になっているので交通量が多い。一歩、老人は車道に足を踏み出す。老人は二十メートル先にある横断歩道を渡らない。道を急いで死に急ぐ。
「のろい」
 鯨は自転車を止めて振り返り見守る。老人は今にも転びそうになりながら一歩一歩踏み出して進んでいる。一歩と言っても爪先から踵の長さしか進んでいない。ミニバンが停車する。砂の混ざった罵り声が聞こえてくる。
「轢かれちまうぞ」
 やっと老人は片側一車線を歩き終えた。中央の黄色いラインを越えようとしている。注意深く車を確かめようとしているけれど、その注意深さをなぜ横断歩道を渡ることで発揮しなかったのだ。上背を道路と平行にしているので子供の背丈ほどの存在感しかない。車の陰にかくれて、反対側車線を来る車には老人は見えないはずだ。轢かれろ、轢かれろ、轢かれろ。そう鯨は念じる。なぜおまえは脚も腰も悪いのに横着して横断歩道を渡らない。死にたいのか。そうやってホッとしたいのか。
 その老人に後ろから近づく女子高生がいた。きっと近くの女子高に通う生徒だろう、青灰色のスカートに水色のリボンを胸につけていた。胸は豊かにふくらんでいる。彼女は老人に寄り沿った、死と乙女とが老人を取り合っている。彼女は老人の傍らに立ち、片手をあげて注意を促す。車がブレーキをかけて止まる。老人と女子高生は無事に対岸に渡ることができた。老人は女子高生に礼を言い、またよたよたと一歩一歩灼熱地獄へ向かって歩き出した。
 鯨は自転車を走らせて横断歩道を渡る。そして心優しい女子高生のあとをつけた。運良く、その娘は深沢の人通りの少ない道に入っていった。川のせせらぎを見ながらせむし魚の物語を思った。機を見るに敏、鯨は人気のいない民家の車庫のなかで彼女を強姦した。乳房は神話的によく膨らんでいたけれど、湿り気の少ない乾いた土地に種を撒くようであった。彼女は性的搾取の間、両目を瞑っていた、もしかしたら役立たずな彼氏の顔でも思い浮かべながら強姦されていたのだろうか。ただ汗が流された。事が済んだあと、彼氏以外の男にパンツを脱がされてしまったその娘に鯨は声をかけてあげる。優しい言葉で。
「恥じることはない。おまえは誇るべきことをしたのだ」
| eseo | 05:54 | - | - | このページのトップへ
はじめて見た空の色
  親友の茉莉花が理科実験室で強姦された。体育館脇にそなえつけられた使用人数毎日三人以下の女子トイレに呼び出されたので、何事かと思って真剣に聴いてやったら、茉莉花は泣きながら強姦被害について訴えかけるだけだ。くだらない、何もそそらない。洗面台の蛇口は締まりが悪くてちょろちょろと水が流れ出ているのだろう、鏡の上の白熱灯は消えかけて点滅しているのだろう。でもそれらは見えぬ。個室トイレの壁に朱岐シフォンはもたれかかり、茉莉花が和式トイレを跨いで自分がどんな目にあったのかを嬉々として親友シフォンに訴えかける。もし茉莉花が強姦魔にパンツを盗まれていたら、尿はそのまま便器に垂れ落ちるはずだ。そんなことをシフォンは思った。
「ねぇシフォン。理科の栗田に言われて、ビーカーを磨いていたら、突然託也くんが、理科実験室に入って、来て、試験管で、私のことを、貫いたの」
 託也はシフォンの幼馴染である。あいつはポパイだったのか、とシフォンはトイレの床タイルに小さく吐き捨てた。
「はじめてだったから、本物のほうがよかったのに、それでもよかったのに、なんで、試験管だったんだろう」
 おまえの初体験の不満はどうでもいい、とは言わずにシフォンは茉莉花を押しのけた。茉莉花の右足は便器の中で水に浸り、シフォンは個室トイレの暗がりから、夏の影がつくりだす鈍い温度のなかに出た。窓の白さが手の届かない希望を四角く切り取る。きっと自分は茉莉花よりも夢見勝ちなんだとシフォンは悟る。
「ねえ、どうして試験管、だったんだろう」
 薄桃色に塗られた女子トイレの扉を開けて振り返りながらシフォンはそんなショッキングピンクな問いに答えた。
「穂軸」
 そして誰も私になんて興味はない、幼馴染の託也でさえ。
「さよなら茉莉花」
 さようなら、テンプルお嬢様。

 何の喜びも落ちていない放課後、シフォンは駅ビルの油圧式エレベーターに入ろうとしていた。ホームに上がろうとするエレベーターの中には青い縦縞シャツを着た男が硝子の向こう側を眺めている。儚げで憂鬱そうな剃り残しが首筋にこびりついている。(これこれ)と思ったシフォンはエレベーターに入り扉を向き直りながら「閉」ボタンを押す。扉がゆっくり知的障害児の動作のように閉じられた。ゆっくりと箱が上昇するのを重力の軽減で知りながら、シフォンは左の耳のあたりに他人の吐息を感じた。

   おねーちゃん大きいな、触っていい?

 皮膚の薄い肉を触れられたように、股の内側を撫でられたようにシフォンは背肉を温める。男はみんなバカだ。シフォンは返答しない。無言のまま、エレベーターが止まる。ホーム階、扉が開かれる。シフォンは三歩進んで背後を振り返った。男は箱から出てこない。駅のエレベーターは車椅子用に設置されているのでそう早くは閉まらない。
「ほら、出てきなよ」
 そう言われるがまま、男は箱から出てくる。箱から出て黙ってただ立っているだけだ。命令待ち人間、アホだ。主導権はシフォンが握った。エレベーターの扉が男の背後で閉まる。イフタフ・ヤー・シムシムの呪文を唱えてももう開くことはない。
「名刺持っているでしょ。出して」
 男は胸ポケットから金属製のケースを引き抜き、触れれば血の滴りそうな名刺を一枚右手で差し出した。やはり勤務中だった。シフォンも右手を出してそれを受取る。「副医俊基」という角ばった名が活版で打たれている。
「あの、これで身分を明かしました。今日のところはこれで許してください」
 男はそう懇願する。シフォンは心のなかで「はぁ」と蔑む。許す? まだ許さない。許してやらない。
「大きいって何のこと? 」
「え」
 とぼけるな。忘れたとは言わせない。一分もたっていない過去のおまえ自身の言葉をすでに忘れたとは言わせない。
「さっきエレベーターで言った、大きいって何のこと? 」
 身長? 顔が大きいというシフォンのコンプレックスを刺激する気? お尻? それともこの胸?
「……おっぱいです」
 でも、僕はCカップに過ぎないんだぞ。
「それは何に比べて? 」
「何って、それは」
 男は口ごもる。さあ、早く言え。おまえの元カノに比べてか? 行きずりの女に比べてか? それとも繁華街で買った女に比べてか? さあ言え、
「私は、そのあなたのおっぱいが、他の何かと比べたんじゃなくて、なんか、こう、大きくて、いいなと思って、ただそれだけで」
 直球ど真ん中だった。顔がほころびそうになるのをなんとか頬の筋肉でこらえた。
「で、あなたは『触っていい? 』とか訊いたけど、僕が触らせてあげる、なんて答えると思った? 」
 男は下を向く。
「あきらかに女子高生の僕が、つまりこの日本社会でもっとも高い階層に位置しているこの僕が、三十代半ばのおっさんであるあなた、つまりこの日本型資本主義社会の最下層に属するあなたに『触っていい? 』と訊かれて、はい触っていいですぅなんてハートマーク付きで答えると思った? え?」
「ええと、それは」
 この男は煮え切らぬ。期待に応えなかったとしたら、どうしてくれよう。鉄道警察にでもつきだそうか。
「それは、何? 」
 男は下を向きながら
「正直、期待はしませんでした」
 と答えた。
「なぜ? 」
「なぜ、ですか」
「そう、なぜ? 」
 シフォンはたたみかける。
「なぜという問いの答えになるのかはわかりませんが、期待しなかったというよりも、私はあなたに『触っていい』と答えて欲しくはなかった」
 改札口からホームへと続く階段に爽やかな風が入り込む。頬をかすめたその風はシフォンの髪に小さな渦をたてて、男を驚かす。
「なぜ」
「一目見たときから、あなたがそんな女ではないと信じたかったから」
 シフォンのなかで何かが壊れ、そして復元していく歯車がまわる。もういいだろう。この男は充分にその役目を果たした。シフォンは
「僕はそんなできた女じゃない」
 と小さく囁いて、回れ右をする。男を置き去りにして雑踏へ向かう。初夏の乾いた風が脚にからまる。今日はじめて空の色を見たような気がした。
| eseo | 07:44 | - | - | このページのトップへ
2012年7月16日東海道本線上りにて
 熱海発東京行き快速アクティ車内。長椅子の端席でポメラを開いたまま寝ていたら列車がどこかの駅で停車した。ブレーキで速度を殺す、その衝撃を全身で受けながら鯨は目を覚ました。どうやら30分よりも長い時間寝ていたようで副交感神経が働いてしまい状況判断能力が著しく低下している。とりあえず周囲を見回すと鯨の左隣には30歳くらいの眼鏡をかけ豚の尻尾のように短い茶髪ポニーテイルの女性が腰掛けて寝ている。左前には少し太った肌の汚い、それこそ30代半ば程の女性が立っている。そして鯨の前には20代後半だろう元女子野球部だと言わんばかりの短髪で踝まで隠す長いスカートを履いた女性が立ってイヤホンで音楽を聴いていた。それほど車内は混んでいない。車内で立っている人は計四、五人しかいない(それなのになぜ鯨のまわりにはこんなにも女性が、年上の女性が集まっているのか)などとぼんやり思っているとホームから開いていた扉を通ってすらりと生足を出したロングポニーテイルの日本人女性とクリオーリョっぽい女性が乗車してきた。そして日本人女性の方が、鯨の前に二人も女性が立っていて当の鯨はと言えば寝起きで判断力が落ちているのに、その寝ぼけ眼の鯨に向かって「この電車は東京へ行きますか」などと訊いてきたのだ。「はい」進むべき方向もまだ知らない鯨はそう答えるしかなかった。その返事だけ訊くと日本人女性とセニョリータはどこかへ行ってしまった。鯨の前に立っている二人はきっと知り合いでもなんでもないんだろうけれど「何あの女」「むかつく」などと言いたげに目線をチラチラ見合わせている。思わせぶりな女どもめ。鯨はまだ覚醒しきっていない。長い駅から駅の間、鯨は前に立っている二人の女性を交互に見た。二人はやはり知り合いでもなんでもないのに、二人して鯨の前で立っているようだ。気恥ずかしくなったのか元女子野球部は一歩後ずさりして音楽を聴き吊り広告を見ている振りをしていいる。少し太った女性も一歩避けて窓の外を見る振りをしている。そして左隣の女性はまだ眠っている。次の駅で左前の少し太った女性が空いた席を見つけて座るためにどこかへ消えた。元野球部もどこかへ消えた。きっとそれほど座りたかったのだろう。鯨の左隣には寝ている女性だけだ。そうやって東海道本線に平和が訪れた。
| eseo | 22:36 | - | - | このページのトップへ
春嵐
  春の嵐である。道筋の必然により、幹線道路の歩道橋を渡ったら横殴りの風にやられた。手にしたビニル傘はすでに骨折していてガス・ステーションの方へ吹き飛ばされたのは気にしなかった。だが、服が風をはらみ欄干に躯をたたきつけられた。眼鏡が風に飛ばされてその行く末は諦めたのだけれど、運良く側溝に落ちていた。歩道橋を降りて、眼鏡を泥から拾う。汚れた眼鏡をかける。前は見えぬが、それでも前には進める。春の嵐は冬の憂鬱を吹き飛ばしていく。ニュース報道で大阪のコンビニの映像が映されていた。それはオフィスの入居しているような大きなビルの一階にあるコンビニで、床が水浸しになっていた。女性の店員が水を掻き出そうとしていたし、雑巾をまるめて堤防をつくり水の侵入を食い止めていた。そこで鯨は思うのである。「ああ、あの女性店員は今頃、店長に執拗なまでに犯されているのだ」と。もちろん女性店員は大阪の国公立大学で学ぶ女子大生である。大学にはつきあって1年目になる彼氏もいるし、別の私立大学には肉体関係だけの男友達もいる。でも、この春の嵐のどさくさで、バイト先のコンビニの濡れた床を拭って汗をかいた彼女の躯を店長は欲し、そして女性店員は嵐だからと妻子ある店長にコンビニのトイレで躯を許すのである。そういったことは多く行われている。とある会社の部長は「訪問先が近いから」とありもしない訪問先をこしらえて女性社員を乗せて社用車を転がすだろう。声をかけられた女性社員はこんな嵐の中、濡れなくて済んだと喜ぶ。ここで溶暗、場面はラヴホテルの一室に切り替わる。あるいは女性社員の下宿先でも構わない。ただ嵐だからという名目で女性社員は上司に躯を許してしまう、彼女には保育園で彼女を待っている3歳の長男がいるにもかかわらず。妻が帰宅すると家では早期の帰社命令によって先に帰宅した夫が待っている。玄関が開く、夫は満面の笑顔である「これこれは、わざわざ送ってくださりありがとうございます」、何も知らない夫は妻を送ってくれた妻の上司に感謝する。見知らぬ保育園で3歳の長男が泣叫ぶ。部長は嫉妬とともに妻を夫のもとに帰す。頬を紅潮させた部長は風にハンドルをとられないようそのまま社用車に乗って家路に就くのである。鯨はクリスマスの神話を信じてはいない、でも嵐の伝説は信仰している。だからこの嵐でたくさんの肉体関係が結ばれただろうと想像する。風は吹く、雨は壁にたたきつけられる。これが春の嵐である。人間はこの惑星の上にただ存在していることだけにありがたみを感じ、神を感じ、地表で這いつくばっているだけの人間社会にはそっぽを向く。そういったなかでは何もかもが許され、何もかもが失われる。翌朝にはいくつかの家庭と、いくつかの幸福と、いくつかのサークルが崩壊するだろう。すべては嵐のなした業である。
| eseo | 20:45 | - | - | このページのトップへ
男性の「束縛」について
  女性が男性の「束縛」を嫌がるという現象がある。もしこの言い方に語弊があるのならば、男性の愛情表現を「束縛」と呼んで女性が自分の嫌悪感を正当化する現象がある。もちろんこの場合の男性と女性は法的ではない私的な婚姻関係(恋人の関係、彼氏彼女の関係)にあるとする。
 なぜ男性はいわゆる「束縛」と呼ばれる言動をするのだろうか。「束縛」言動には以下のような例がある。

 1, 女性が他の男性と遊ぶのを止めさせようとする。
 2, 女性が他の女性と遊ぶのを止めさせようとする。
 3,女性が他の人と話すのを止めさせようとする。

 それぞれについて検証してみる。1については女性がその意志に反して強姦される、あるいはその意志によって他の男性と性交するのを妨げるためである。2については他の女性の誘惑によって女性が他の男性に強姦される、あるいは他の男性と性交するのを妨げるためである。3については1と2について述べられた状況に発展する可能性があるので事前にそれを妨げるためである。
 「束縛」言動はいづれも男性の、女性をかけがえのない存在と認め女性を失いたくない、今あるこの関係を崩したくないという願望よりわき出たものだ。もし男性が相手の女性を性的玩具と見なしているのならば、たとえ女性が他の男性と遊びに行こうが何をしようが何も言わずに黙っているだろう。ただの物体なのだから、他の男性から強姦されようが肛門に大根をつっこまれようが構わないのだ。そうではない、相手の女性が血の通った人間だからこそ「危険をおかしてくれるな」と男性は「束縛」するのである。「束縛」言動とは男性の愛情表現なのだ。
 ここから見えてくるのは、「束縛」言動を嫌がる女性は、相手の男性に自分を性的玩具と見なして欲しいと思っているか、もしくは自ら他の男性に自分を強姦して欲しいという願望を抱いているということ。「束縛」を嫌がる女性には、もっと自分の身体を大切にした方がいいとお節介ながら忠告する。君はその男性にかけがえのない存在と思われているのだから。
 「束縛」言動とは性交以外で男性が女性に示せるほとんど唯一の優しさと愛情である。これなくして男女という異性間の愛情は成立し得ない。
| eseo | 16:51 | - | - | このページのトップへ
情緒不安定
  札幌で働いていたときのことだ。職場の所長から不意に
「どうして鯨くんはそんなにいつも情緒不安定なのか」
と訊かれた。鯨はすぐには答えられなかった。まず自分が情緒不安定になっている原因について知らなかった。それに、そもそも自分が情緒不安定であるという観点を持っていなかった。答えられる筈もなかった。
「情緒不安定ですかねえ」
 と鯨には言葉を濁してお茶を濁すことしかできなかったが
「ああ、そうだ」
 と所長はその話を続けようとする。なので鯨はなんとなくだが
「タバコを吸わないからでしょうか」
と適当なことを言ってこの話を収束させようとした。しかし所長はややこしいことを言った。
「鯨くん、タバコは前から吸っていないから別に禁煙していないのに情緒不安定になる理由がわからないよ」
 帰り道、市営地下鉄を出て雪を踏みしめて歩きながら所長の言葉を反芻してみた。知的障害児施設を脱走して半年しかたっていなかった頃だ。まだ脱走に至るまでの精神状態が続いていたのかもしれないという考えに至った。この躯に心がついていっていない状態にあるのかも、と。そこで思考をやめた。どうでもよくなったからだ。そして今になってあの言葉「タバコを吸わないからでしょうか」は正鵠を射ていたかもしれないと思い始めている。もちろん、それを射るためには「タバコ」の言葉の範囲に麻薬などのクスリも含める必要がある。

 三軒茶屋の交差点をわたっているときに、いわゆる情緒的に安定している空間を通り抜けていったような気がした。それはほんの一瞬のことで、すぐにその空間は喪われた。横断歩道なので立ち返ってその空間を再び味わうわけにはいかなかった。それは振り返っても目に見えるものでもない。もし目に見えるものならば、歩いているときに前方に見えたはずだ。こうして、その情緒的に安定している空間は完全に鯨から喪失した。
 情緒が安定しているか、それとも不安定であるかという観点が生まれてからの観測結果として自分は絶えず情緒不安定であり、いつも揺らいでいることを発見した。すくなくとも長い期間安定はしていない。なので「何を以て情緒が安定しているか」という基準が曖昧である。つまり、どういう状態にあるときに自分が安定しているのかがわからない。何となくかつてそれが来たときにそれがどういうものだったかという経験から情緒が安定しているか不安定かの判別はできるのだが、自らをその状態に持って行けるほどはっきりとした基準はないということだ。この場合、もし安定している状態の自分が「ありのままの自分」だとしたら、その「ありのままの自分」というのがつかめないということになるのだろうか。あるいは「ありのままの自分」が情緒不安定な状態であるということか。
 フランス映画を観ているときにタバコを口にくわえた女優のとがった顎先にennuiを感じるときがある。そのennuiさというのは一つの停滞した気団であって、その気団のただ中に自分の身体がおかれているとき、それを安定とよべる、という希望がある。それが希望なのは、それ以外にたどるべき途が存在しないからだ。ennuiが情緒安定の条件であるというのは何とも鬱屈していると自分でも思うのだが、そのennuiさに何ら恐怖心を抱かずに、ennuiをennuiそのものとして甘受していられるのであれば、それはきっと情緒安定とよべるのだろう。
 そこまで思考が至ったとき、三軒茶屋で通り過ぎて、そして置き去りにしたあの特殊な空間を占めていたものはennuiではなかったのかという推測がよぎった。年甲斐もなくフランソワーズ・サガンを読みたくなった。
| eseo | 21:02 | - | - | このページのトップへ
Mさんとの会話
   Mさんは14時に大阪にあるお客様窓口センターに電話をいれたらしい。鯨は東京23区内にある事務所に15時過ぎに帰ってきて、電話受付の書類を女性社員に見せられた。そして、Mさんに電話を入れて欲しいと女性社員に要請される。書類には「T国には渡航注意の情報やマラリアなどの病気が発生しているとのこと、それで商品Aを購入できるか。商品A購入希望」と受付事項が書いてある。特に時間の指定等は書いていなかった。
 鯨は見積等の計算をして15時半ごろにスマートフォンから架電した。十数分後に出かける用事があったので折り返し電話があった際にすぐに対応できるようにである。
 数十秒して相手が出た。
「鯨です」
「すぐに折り返して下さい」
 と先方に言われたので
「何時ごろがよろしいでしょうか」
 と訊くと
「すぐでいいです」
 という返事で電話が切れた。鯨はすぐにその指でタップして架電した。
「鯨です、商品Aの件でお電話をさしあげました」
「はい」
 まずは質問事項に答えるか。
「マラリアなどの病気が発生しているがそれで商品を購入できるかということですが購入できます」
「はい」
「それで購入をご希望ということですが」
 そこでその人は怒り出した。
「ちょっと待てよ。こちらは1時間以上待っていたんだぞ」
 うん?と思った。書類を見ると最初の電話から正確には1時間半だ。
「それで購入希望じゃねえだろ。まずお待たせしてすみませんでしただろ」
 と来た。受付があってから翌日に電話をすることもあるので、こういう返答ははじめてで鯨はなんと答えていいのかわからなかった。
「それで訊いているのはマラリアについてじゃねえよ。どう聞いたか知らないけど渡航注意が出ててそれで購入できるのかって聞いてんだ。それよりもまずこちらはすぐに電話しろって言って1時間も待っているんだぞ。そんな話の前にまずすみませんだろ。それに商品Aに必要なのは迅速な対応だろ。違うのか」
「そうです」
 そうなんだけれど、いくら何でも1時間で対応するような商品Aに今まで出くわしたことがない。早くても事案発生から2〜3日だ。
「おまえだったら、そんな1時間も待たされて商品Aを買うか? 」
 うーん。1日待たされたら考えるけれど、1時間で電話がかかってきたらまずますかな、と思った。もちろんこちらが10分後に電話してと伝えて1時間後に 電話がかかってきたら怒るかもしれないけれど、"すぐに"という曖昧な言葉をこちらが持ち出したならばしょうがないかなと思う。
「あくまでも個人的な差違はあると思いますが、1時間くらいであれば鯨は気にしません」
 ここで当然だが、Mさんは激怒した。
「おまえはそういう考えか。おまえの会社はそういう会社なんだな。商品Aにとって必要なのは何だ」
「迅速な対応です」
 答えはたいてい文章中に転がっているものだ。
「だろ。迅速な対応だ。でも、おまえは1時間待ってもいいって言っている。おかしいだろ」
 だんだんわかってきたのはMさんの頭のなかでは「迅速」=1時間未満、で「すぐに」=1時間未満だということだ。59分までは良くて60分はダメ、Mさんはそういう文化で生きているらしい。あと話がずれてきている。
「ちょっと待ってください。今はMさんが1時間待たされてご立腹したという件について話をしているんですよね。鯨の時間感覚は関係ないのではないですか」
「そうだ。余計なこと言うんじゃねえよ」
 Mさんはとにかく難癖をつけないといけない人のようだった。
「迅速な対応が必要なのに、おまえは1時間待たせてもいいって言っている。矛盾しているっつってんだよ」
 いつのまにか"待ってもいい"が"待たせてもいい"にすり替わっている。
「そんなことは言っていません。今はMさんが1時間待ってご立腹したということについてお話ししているんですよね。弊社の連絡伝達がつたなくお待たせしてしまったことは謝罪します」
「そうだろ。待たせたんだ。それをおまえは1時間待たせてもいいって言っている」
「ですから、今話しているのはMさんが待たされたことを話しているんですよね。鯨のことは関係ないではないですか」
「そうだ。関係ないこと言うな」
 わけがわからないよ。
「おまえの上司を出せ」
 ここで鯨は言葉に詰まった。鯨は出向の身であり、この事務所での地位は自分でもよくわかっていない。「君は個人事業主だ」と言われたこともあるし、「一 社員だ」と言われたこともある。また、鯨には担当をしてくれている人と所長がいて、担当が上司なのかもしれないけれど、所長のほうが上司っぽい。どちらが上司なのだろうと考えて行動予定表のホワイトボードを見ると2人とも直帰していた。なのでこう答えた。
「上司はいません」
「ん?どういうことだ」
「ですから上司はいません」
 まあ、当然ながらここでMさん、激怒である。
「おまえに上司はいねえのかよ」
 いるのかな、いないのかな。まあ、いるってことにしておこう。
「いるんですが、今日はもう帰ってきません」
「なら、明日お電話させますっていうのが常識だろ」
 どうやらMさんは1時間は待てないけれど一夜ならば待てるらしい。
「ではお電話させます」
「10時までに電話させろ」
 そんなこと言われても2人とも明日直行しないとは限らないし、時間なんて未定だよ。鯨が電話をするならまだしも。
「ではなるべく10時までにお電話させます」
「おまえらはそういうところが曖昧なんだよ。10時までっつたら10時までに電話させろ。こちらは10時までを希望しているんだ」
「わかりました。10時にお電話させます」
「誰が電話する」
 ここで誰を犠牲にするか、鯨の頭のなかで天秤にかけられる。担当だな。
「Kが電話します」
「そうか、明日10時までにKが電話するんだな」
「はい」
 ここでお互いに黙った。そしてMさんが電話をきった。
| 仕事 | 21:15 | - | - | このページのトップへ
反則しました
  11月4日(金)17時20分ごろ、鯨は取引先へ急いでいて、原付トゥディを転がしていた。日は落ちて、あたりはすっかり暗くなっていた。片側一車線の赤堤通りを西に進んでいたら、バス通りということもあって、なかなか車列が進まない。左の路肩でちょろちょろ乗用車を抜かしていたけれど、でんと前にトラックがとまっていて、前に進めなくなった。信号機待ちかなと思ってセンターラインの黄色い線からちょろっと頭を出して見てみたら、どうやら東急世田谷線の踏切でとまっているようだった。対向車はない。よっしゃ前に行こうとそのまま車列を追い越していって、踏切の手前の停止線に出た。カンカンカン、踏切の音を聞きながら遮断機があがるのを待っていると「ちょっと、ちょっと」と右から呼ばれた。火龍園の駐車場から出てきたのは2人の警察官だ。何だろうと思った。そういえばここは踏切一時停止を守らないクルマを取り締まるために警察官が潜んでいる所だった。「ことさら身を隠して取締りを行ったり、予防または制止すべきにもかかわらず、これを黙認してのち検挙したりする」場所だったのだ。
 鯨はしょうがないと駐車場の横にトゥディを停めた。取り締まられた理由はセンターラインの黄色い線を超えて約50m走行したことらしい。交通反則告知書に寄れば「通行区分違反 右側通行」とのこと。「あんなに超えていたら、こっちもなんなんだって思っちゃいますよ」と満面の笑みで言われた。ちょっとイラッとした。「急いでいますか」と訊かれたので「急いでいます」と答えると「すみませんね」である。だったら早く行かせろよ、と思った。どうやら巡査長と巡査のコンビらしい。自転車のサドルで巡査長が口にライトを咥えて手もとを照らし何か書いている。ちょっとかっこいい。これが世に言う青切符(交通反則告知書)であろうか。そして若い巡査もサドルで何か書いている。これが世に言う納付書だろうか。サインを迫られたので面倒くさいのでそのままサインをした。「印鑑はお持ちですか」と捺印をお願いされたので「そんなに用意よくないよ」と答えると拇印を押せとのことだった。押すとハンカチを渡された。やけに親切だ。でもこちらは急いでいたんだ。「気をつけてくださいね」と言われてエンジンをかけ、その場を離れた。
 センターラインを超えた時点で、注意すべきでは。そう思った。
| 交通反則切符 | 04:58 | - | - | このページのトップへ
シアヌークとの会話
  高校の時の後輩であるシアヌークに呼ばれて下北沢に出た。シアヌークはもちろん殿下ではないが、高校の時の後輩であって中学の時の後輩ではない。従って鯨よりも4歳年下で今のところ23歳(誕生日が6月)である。今年、国立にある某国立大学を卒業して、4月から何ら迷いを抱かずに大手商社に就職して働いているらしい。
 待ち合わせ場所は北口にあるスターバックスだった。北沢タウンホールの駐輪場にスクーターを停めて、踏切を越えて待ち合わせ場所に向かった。スターバックスでコーヒーを購入しようとすると、妻にコーヒーを買わせていたスキンヘッドの男が女性店員の対応に「つかえねぇーな」と吐いていた。もう一度その男が同じ台詞を吐いたら殴ろうと思った。しかしそんなことはなく、その男も鯨も無事にコーヒーにありついた。マグカップを手に地下へ続く階段を降りていくと、隅の席にシアヌークは座っていた。前に忘年会で会ったときよりものっぺりとした顔をしていた。
「よ」
「鯨さん、こんにちは」
 まずはシアヌークの近況を訊いた。研修続きで移動が多く大変らしい。最初の2年は本社勤めで仕事を覚えて3年目から海外支社や地方支社に飛ばされるという。
「だから焦っているんです」
 とシアヌークは言った。
「なにを」
 とは訊くものの、だいたい話は見えてきた。
「僕、女性と話すのが苦手なんです」
「鯨も苦手だよ」
 そんなことはない、とシアヌークは鯨の言葉を否定しにかかる。
「鯨さんはよく女性と話している印象があります」
 そんなことはないよ。むしろ平均的な男性の5%くらいしか話していないよ。
「僕は同期の女の子ともうまく話せないんです。電話とかは大丈夫なんですけれど」
 よく、おまえ就職できたな。それって仕事に支障を来さないか。
「でも、職場は男性が多いし、上司はほとんど男性なので助かっています。それで」
 それで、って何だよ。
「どうしたらうまく女性と話せるんでしょうか」

 知らないよ。と鯨は言った。恋愛相談の類はお門違いだ。好きな女の子がいるなら鯨と話している暇でその子と話せばいい。鯨のことは知っているだろ。たとえばつきあっている男女がいる。そのうちの男が別の女に恋愛相談を持ちかける。そういうのを非合理的で、一番の愚の骨頂だと思う人間だ。だから
「わかっていますが、鯨さんは何でも知っていそうな気がするんです」
 まあ、話だけは聞こう。
「どうやったら、恥知らずにも女の子と話せるんですか」
 鯨にはある懸念があった。よくよく考えれば鯨にも女の子と話すのが苦手な時期があった。そのときの経験をもとに訊いてみようか。
「女の子と話すことの何が恥ずかしいの」
「えっ」
 とシアヌークは目を見開いて鯨の顔をまじまじと見た。何でそんなことを訊くのか、鯨の真意を確かめているようでもあった。きっとこれは図星になる。
「もしかして、性交のことを考えながら女の子と話していないか。あるいはこの娘はおっぱいでかいなとか、そんな類のことだ」
 隣の席で音楽を聴きながら手帳に何かを記入している女性がこちらを見る。
「あ、はい」
 だろうな。
「そりゃ、恥ずかしいに決まっているだろ。おまえが恥ずかしがっているのは女の子と話すことじゃなくて、性交のことを考えていることやおっぱいのことを考えていることの方だ。人間として当たり前のことだ。だから、おまえが採るべき道は二つ、性交やおっぱいのことを考えずに女の子と話すか、性交やおっぱいのことを考えることを恥ずかしがらないようにすることだ」
 これで話は終わるだろう。隣の女性の視線が頬に刺さるが気にしない。
「前者は、ちょっと意味がわからないです」
 何の意味だよ。
「女の子と話すのにそういったことを考えないのはよく意味がわかりません。ならそもそも女の子と話さなくていいじゃないですか」
 そうか。
「あと後者はやっぱり恥ずかしいじゃないですか」
 こいつを殴りたいと思った。
「いいか、椎野。女の子と話すときは必ずしも性交するときだけとは限らないんだ。もちろん私的に会うとかであればそういうこともあるかもしれないが、それだってすべての道がそこに通じているわけじゃない。確かに生殺与奪の権はおまえの手の内にある。だが、それで恥ずかしがっていたらその権を生かすことさえできない。まず女の子と話す=性交という考えを止めろ」
「そうしたら女の子と何を話せばいいんですか」
 お願いだからそんなことくらい自分で考えてくれ。もう23歳なんだろ、就職して働いているんだろ。
「たとえば今週のアニメのこととか最近見た映画とかドラマとか読んだ本のこととか。話題は何でもある。先週の競馬で当たったことでもいいし、おいしいインドカレー屋のことでもいい。来週天皇賞だけど府中行くか? まあ、一番いいのはその子の深層心理を会話で探るとか、そこまでいかなくてもとにかく相手のことを訊くのがいいんじゃないのか。おまえのことに興味を持っているぞアピールで」
 シアヌークは怪訝顔をする。
「でも、そもそも興味を持っていなかったら話さないわけですからそんなのアピールしても重複になるじゃないですか」
「無駄だと思うならしなければいい。それより来週府中にアーネストリー見に行こうぜ」
「でもそんな話をしてもし女の子が喜ばなかったらどうしますか」
「おまえ何言ってんだよ。性交の話をするよりずっと喜ぶと思うよ。もちろん話すくらいだからそれでも喜ぶんだろうけれど。いきなり『さて、セックスのことですが』なんて切り出してみろ、おまえ訴えられるぞ。あとおまえが何も女の子を喜ばせる必要も義務もない。ただ話をするだけだ。そう思えばいい。あと、女の子を喜ばせたいと思うよりも前に、今この時点で鯨を喜ばせるような話をしてくれると大変うれしい」
 そうだ、今日はこれからボーリングをしよう。そう鯨は決めた。
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